「なぜ浅田真央はぼくの胸を打つのか」というコラムが
掲載されていました。
岩崎夏海氏は、200万部に迫るベストセラー
『もし高校野球の女子マネージャーが
ドラッカーの「マネジメント」を読んだら』の著者。
このコラムは、「大会の取材やインタビューを通じて
これまで焦点が当てられてこなかった人となりや魅力を探る。」
内容とのこと。
最近の、フィギュア選手をただの「アイドル」「商品」
としか思っていないような扱いに、心底うんざりする中
真央ちゃんを応援している人たちが
「なぜ浅田真央に胸を打たれるのか」
それは、ごくごく単純で、理屈ではない思い。
どこから目線でもない、多くの真央ちゃんファンと
同じ目線から語られる、「なぜ浅田真央に胸を打たれるのか」 。
真央ちゃんを応援するものとしては
一人でも多くの人に読んでもらいたくなってしまうコラムでした。
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パリで浅田真央さんは「私はスケートが好きなんです」と言った
浅田真央さんの本を書くことになった。
これは、真央さん本人を初め、さまざまな方々のご協力のもとにスタートした企画である。
もともとは、出版社の編集者の方(ここでは仮にAさんとする)が、ぼくのもとを訪ねてきてくれたことがきっかけだった。Aさんは、今年初め、後にベストセラーとなるぼくの著書『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(以下『もしドラ』)がまだ出たばかりの頃に、「これは素晴らしい本だ」と評価してくださり、「これに類する本をうちでも書いてくれないか」という提案を携えられ、会いにきてくれた。
しかしながら、ぼくはこれを丁重にお断りした。なぜなら、『もしドラ』に類する本は書かないと、もうすでに決めていたからだ。同時に、次に出す本は「自分が興味のあることを取りあげたドキュメンタリーにしたい」という思いもあった。だから、そのことを率直に申しあげると、Aさんは、「では何に興味があるのですか?」と聞いてきた。そこでぼくは、こうお答えしたのだ。
「任天堂と、浅田真央さんです」
任天堂に興味があったのは、ぼくの本業がエンターテインメント制作であることから、「世界で最も成功したエンターテインメント企業であるところの任天堂」に興味があったのと、マネジメントをテーマにした本を書いたことから、「エンターテインメントを組織で作るとはどいうことか」を取材したいと思ったのだ。
一方、浅田真央さんは、これは自分でもよく分からない、漠然とした興味からだった。
この時はまだ、バンクーバーオリンピック(2010年2月)は開催されていなかったが、真央さんは女子フィギュアスケートのメダル候補であったし、それ以前に国民的な人気者だったので、当たり前のように知っていた。
しかし一方で、ぼく自身があまりフィギュアスケートに詳しくないということもあって、よく知らない存在でもあった。彼女を見るのはテレビの中継とニュース(たまにドキュメンタリー)に限られていて、だから彼女がその世界ではどのような存在で、また彼女自身がどういう人間かというのも、ほとんど知らなかったのである。
ぼくは浅田真央さんに興味があった
この「知らなかった」ということが、彼女に興味を持った理由の一つかも知れなかった。ぼくは、中継やニュースで彼女を見る時には、いつもその演技や言動に引きつけられた。しかし一方では、なぜそれほど引きつけられるのかが分からなかった。だから、彼女の魅力や人となりといった情報を、いつでも欲していた。
しかしそれらは、中継やニュースを見ている限りでは、得ることができなかった。なぜなら、中継やニュースでは、常に真央さんの点数や順位、あるいはライバルとの関係ばかりに焦点が当てられ、肝心の魅力や人となりといったものには、ほとんど触れられなかったからだ。
だから、真央さんの報道に触れる時は、いつももやもやとした不満を抱かされていたのだが、さりとてそれを解消する手段も持ち合わせいなかったから、それらはいつしか、心の底に澱のように沈殿するようになっていたのである。
その積もり積もったものが、Aさんから「何に興味があるのですか」と聞かれた時に、思わず出たのだ。そうしてぼくは、自分に気づかされた。
「あ、ぼくは、浅田真央さんに興味があったのだ!」
その後、バンクーバーオリンピックが開催された。ぼくは、予備知識をほとんど持たないままに生中継を見たのだが、フィギュアスケートは日中に放送していたので、ショートプログラムもフリーも、会社のテレビで見た。
そこでぼくは、思わず叫んだ。
「すごい!」
当時、一緒に見ていた同僚が証人になってくれると思うのだが、ぼくはショートプログラムもフリーの時も、真央さんの番となると画面に釘付けになり、滑ってる間はすごいすごいと連発しながら、その演技に夢中になっていた。
そうして、フリーが終わり、真央さんの天を見上げる顔が大写しになった瞬間、ぼくは心を貫かれた。
「これは……」
真央さんは、喜びと悲しみ、希望と絶望がない交ぜになった、何とも言えない表情で天を見上げていた。やがて視線を下に落とすと、やれやれといった表情で両の手を腰に当て、リンクの中央に大儀そうに移動すると、観客の声援に笑顔で応えたのだった。
その一挙手一投足に、何とも言えない風情が漂っていた。その佇まいに、何とも言えない貫禄が備わっていた。真央さんのその顔は、心の深いところにまで降りていき、そこにあるものを見聞きしてきた人間のそれだった。その過程で、人間としての見栄や体面といったものが全て削ぎ落とされ、魂が剥き出しになった時の、作り物ではない、本当の顔だった。
それでぼくは、年来の疑問が少しだけ解けたことを知ったのだった。
「ぼくは、浅田真央さんに人間の本当の顔を見たのだ。その顔に興味を持ち、なぜそうした顔ができるのかを知りたいと思った。だから、興味を抱いたのだ」
その後、前述したようにさまざまな方々のご協力、ご厚意があり、浅田真央さんの本を書かせて頂くこととなった。
その取材の手始めとして、名古屋でのNHK杯(10月22~24日)を観戦した。また今回、パリでのエリック・ボンパール杯(11月26日~28日)を取材し、その取材記を、ここに書かせて頂くことになった。
↓ その②に続きます。