人気ブログランキング | 話題のタグを見る
スケート選手が「転ぶ」ということの意味
日経ビジネスONLINEの、岩崎夏海氏によるコラム
「なぜ浅田真央はぼくの胸を打つのか」

その②です。

スケート選手が「転ぶ」ということの意味_c0206758_18365544.jpg




スケート選手が「転ぶ」ということの意味

前置きが長くなったが、ここからがパリの浅田真央さん取材記である。
 ぼくは、ショートプログラムが開催された日、つまり2010年11月26日の金曜日に、エリック・ボンパール杯が行われたパリのベルシー体育館へと赴いた。

スケート選手が「転ぶ」ということの意味_c0206758_18293187.jpg

このベルシーというところは、パリ中心部からは地下鉄で15分ほど下ったところにあり、東京でいえば汐留みたいな場所だった。近隣には古い建物と新しい建物が混在し、ビレッジと呼ばれるSOHOのような商店街もあって、パリの中では比較的新しい街区であるらしい。ベルシー体育館も、そんな街区にぴったりの、ちょっと近未来を思わせる、デザイン性に富んだ建物だった。

 会場に入ると、ちょうど男子の練習が始まったところだった。まず目についたのは、スタンドの正面に陣取っていたフランスの子供たちだ。おそらく、見学か何かで近所の小学校から招かれたのだろう。彼らが無邪気な声援を送っていたおかげで、会場は自然、和やかな雰囲気に包み込まれていた。

 そうした中で、いよいよ女子の練習が始まった。いよいよ、真央さんの登場である。ぼくは、非常な興味を持って彼女の練習を見守った。すると、滑り始めた彼女を見てまず思ったのは、その表情が明るいということだった。滑りも、ミスらしいミスが一つもなかった。この日の練習中、彼女は終始気持ち良さそうに滑っていた。


この仕事が始まって以来、ぼくが周囲の親しい人たちに「真央さんの本を書くことになった」と告げると、その度に言われてきたのが「彼女は調子が悪いみたいですね」「名古屋では残念でした」といった言葉だった。それらはもちろん、先だって行われたNHK杯で何度か転倒し、彼女自身としてはこれまでで一番低い8位という順位に甘んじたことを指しての言葉だったのだろうが、しかしその都度、ぼくはこんなふうに答えていた。

 「いや、実はぼくはそうは見ていないんです。むしろ、NHK杯のあの転倒によって、真央さんのすごさをあらためて実感したところです」

 NHK杯の真央さんを、ぼくはすごいと思いながら見ていた。いやむしろ、そういう思いしか湧きあがってこなかった。それは、今回の取材をするにあたって、あらかじめ真央さんのマネージャーさんと打合せをさせて頂いたのだが、その際に、フィギュアスケートに関する、ある興味深いお話を聞いていたからだ。

 「フィギュアスケートというのは、近くで見ているとすごく残酷なスポーツだというのが分かります。それは、『転ぶ』ということと背中合わせにあるからです。転ぶということは、普通の人でさえ恥ずかしいこと。それを選手は、多くの人の見ている中でしなければならないのです」

 そう聞いて、ぼくはハッとさせられた。確かに、「転ぶ」というのは、人間にとって原初的な「恥」につながるものだ。誰でも、人前で転ぶと顔から火が出るほど恥ずかしい。居たたまれなくなる。特にフィギュアスケートの場合には、恥ずかしいだけではなく減点にもつながってしまう。これほど残酷なことは、確かにあまりないだろう。

 そういう、フィギュアスケートにおける「転ぶ」ことの意味を聞いていたから、名古屋での真央さんには、かえって驚かされたのだ。彼女は、もちろん転ぶことを前提に滑っていたわけではないだろうが、しかしその可能性が少なくない中で滑っていたことは確かだった。今この状態で試合に出れば、転倒するかも知れないというのは十分に分かっていた。

しかしそれでも、彼女は試合に出場した。そうして、転んだ。何度も転んだ。しかしその度、立ち上がって、最後まで滑り続けた。ショートプログラムもフリーも、最後まで滑り、最後まで挑戦をやめなかった。

 彼女は、覚悟していたのである。転ぶことを受け入れていたのだ。
 真央さんとて、人間だ。恥じらいは、当たり前のようにあるだろう。しかし彼女は、それを押してもなお、転んだ。

 なぜか?
 それは、自身の成長のためには、今それが必要だと感じていたからではないだろうか。今ここで転んでおくことが、後の成長を促してくれることを知っていたからではないだろうか。短期的には後退と見えることが、長期的には前進を促すことを、彼女は分かっていて、それで今、転ぶことを選択したからではないだろうか。

 しかしそれは、分かっていたとしてもなかなかできることではなかった。人は、どうしたって目の前の嫌なことを避けようとする。そこから逃げ出してしまおうとする。


ぼくから見た真央さんは

しかし浅田さんは、逃げなかった。覚悟を決め、最後まで滑りきったのだ。
 その意味で、ぼくにとってのNHK杯は、浅田さんが大きな前進を成し遂げた大会にしか見えなかった。他の何にも見えなかった。8位という順位は、ほとんど問題ではなかった。真央さん本人や関係者の方々は、また別の受け取り方をされたかも知れないが、少なくともぼくには、そういうふうに見えたのである。

 そうしてぼくは、その見方に自信があった。
 ぼくは、これまでの42年の人生をかけて、ほとんど一つのことを習得することに専念してきた。
 その一つのこととは、「ものを見る目を養う」ということだ。「何が価値あるものなのか」を見極める目を持つというのが、ぼくの人生の大きな目標の一つだった。

 そうして、そのための修練を、これまで積んできたのである。その達成には、もちろんまだまだ遠いのだけれど、しかしそれでも、かなりのところにまで来たという自負はある。ものの価値を見定めることも、最近ではいくらかできるようになってきた。余談だが、『もしドラ』という本は、「200万部は売れるだろう」という予測のもとに書いた。先日、それが現実のこととなったというのは、ぼくの見方がそう間違っていなかったということの、一つの現れだと思っている。


話を戻すと、NHK杯での真央さんは、不調だったかも知れないが、それは広い視野で見た場合、さらなる成長を果たすための過程に過ぎなかったと思っている。それはジャンプに例えるなら、より高く跳ぶために、一瞬身体を沈み込ませたようなものだ。だから、そこだけを抜き取って見ると後退に見えるのだけれど、広い目で見ると、前進の一過程となっているのである。

 そういうわけで、ぼくは真央さんがNHK杯で身体を沈み込ませた後、いつ、どのようにジャンプするのかを見極めようと、パリにまで取材に来たのだった。

 ただ、ぼく自身の見立てでは、そのジャンプの時期はもう少し先になるのではないかと予測していた。それは、名古屋での身体の沈み込ませ方が大きかったので、そこから反転するには、もうちょっと時間が必要じゃないかと思っていたからだ。

 ところが、ショートプログラム前の真央さんの練習を見たぼくは、驚いた。前述したように、ほとんど失敗がなかったのである。それどころか、以前にテレビで見たことのある、独特の何とも言えない風情を漂わせていた。彼女は、その独特の貫禄を漂わせていたのである。

 それは、アクセルジャンプの練習において現れた。おそらく、良くも悪くもトリプルアクセルが、真央さんの象徴の一つなのだろう。彼女もそのことは意識していて、だから、自分の調子を見極める基準の一つとして、トリプルアクセルをどう跳ぶかということを、とらえているように感じた。

 そんなアクセルジャンプを練習する彼女の姿には、ある特徴があった。跳ぶ瞬間に、「スパッ」と何かを斬るような音が聞こえるのだ。但しこれは、実際にそういう音が聞こえるというわけではない。比喩的な意味で、そういう音が聞こえるような印象を受けるのである。彼女のジャンプは、跳ぶまさにその瞬間に、まるでマンガの吹き出しのように、「スパッ」という音が聞こえてくるかのように見えるのだ。


↓ その③に続きます。
by patinage | 2010-12-20 18:40 | 新聞・雑誌・他メディア

浅田真央選手を応援しています♪
by patinage
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
検索
ブログジャンル
ウィンタースポーツ