タラソワさん「私は真央のことが好き。いつでも彼女を守るわ」
産経ニュースのタラソワさんの記事、その2です。

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【話の肖像画 フィギュアスケートコーチ タチアナ・タラソワ(中)】
伝説の名将の父、著名な音楽家の夫、影響を与えた2人の男性





>ソチ五輪金メダルを狙うフィギュアスケート女子のエース、浅田真央さん(23)を指導した名コーチ、タチアナ・タラソワさん(66)は、ロシアフィギュアスケート界の重鎮であり、ロシア人なら誰でも知る有名人である。父親は、ソ連時代、アイスホッケーの代表チームを3回の五輪王者を含む9度の世界王者に導いた故アナトリー・タラソフ氏。「ロシア・アイスホッケー界の父」とも言われる。長く連れ添った夫は著名な音楽家、ウラジーミル・クライネフ氏。「金メダルの請負人」と言われるタラソワさんのフィギュアスケート人生には2人の男性が大きく関わっている。(佐々木正明)

 --タラソワさんがスケートを始めたのは何歳の時ですか

 「私は4歳のときに初めてスケート場に連れて行かれ、そこから滑り始めました。もう62年がたったのね。私自身はもうどんな滑りをしていたか覚えていないわ。欧州選手権、世界選手権、ユニバーシアード、全ての大会に行ったわ。私が選手の第1グループとして滑ったのは2年間なのよ。19歳のときにけがをして、コーチに転身しました」

「コーチとしての私の最初の五輪は札幌でした。25歳のときね。パパにとっては最後の五輪だった。ホッケーで勝利したの。パパはいつも勝ってた。私にとってだけでなく、世界中の人々にとって、パパは天才だった。父の胸像は、カナダのトロントの栄光博物館にあるのよ。父は家にいることが少なかったのですが、家にいるときは厳かで、何よりも規律が大事ということを教わりました。私がコーチとして指導した選手が2位になったとき、父にそのことを伝えたら、『娘や、アイスホッケーでは優勝を逃したら、すぐにクビになる』と教えてくれた。でも、父は私のコーチングについても、一度も口を挟むことはありませんでした」

 --故ウラジーミル・クライネフ氏(2011年に逝去)もタラソワさんのコーチ業を支えたのですね

「夫は傑出した音楽家で、大きな影響を受けました。彼はチャイコフスキーコンクールで最優秀賞を受賞したことがあり、音楽院の教授でもあった。才能豊かで、とても素直で親切で、そんな夫と一緒に生活を共にすることができて、私の人生は幸運に満ちている。何度か、日本に招かれて、チャイコフスキーの曲目を披露しているのよ。世界中に教え子がいたわ。ピアニストの河村尚子さんもその1人。彼女は子供の頃から、夫の教え子でした。彼女は私の家で大きくなったのよ。モスクワで夫のメモリアル・コンサートが開催されるときは、彼女も参加してくれて、すてきな曲を披露してくれるのよ」

 --フィギュアスケートのコーチとして重要なことは

 「振りつけの方法、音楽を聞き分ける力、そして、戦術を持って方向性を決めること。全ての能力が問われます。プロ意識と忍耐を持たなくてはいけない。最も大事なのは気持ちを強く持つことだと思います。誰にでも間違いはあるもの。でも、そうしたミスを通じて人は成長していく。並大抵ではないことを達成する人ほど深刻な間違いを犯すもの。でも失敗をなくすように努力しなくてはならない。私はいつも才能豊かな選手と関わっていて、彼らは全てを私に託していた。1つの過ちが負けにつながり、それはコーチの責任になる。私の指導した選手が3位以下に甘んじることはなかったわ。3位以下になることは恥ずかしいことなのよ」

 --多くの日本国民が、タラソワさんが浅田真央さんと抱擁するシーンを覚えています

 「私はいつも真央と波長を合わせていた。だから、試合前には、何の言葉も必要ないの。目を見つめて、手を握ってあげる。時々、とても短い言葉をかけてあげる。たった一言ね。私がリンクで通訳を介することはまれでした。言葉をかけたい時は、私の方から日本語を覚えたわ。真央は私が何を言いたいかを感じ取ってくれて、理解してくれていた。彼女は私のロシア語を理解していた。とくに私が「マラデェッツ!(素晴らしい)」という時にはね」

 --彼女はロシア語を学んでいるそうですよ

 「マラデェッツ!マラデッツ!私は真央のことが好き。いつでも彼女を守るわ」

--浅田さんの母親が他界されてもう2年になります

 「真央がモスクワに来るときは、いつも母親と一緒で、私は尊敬の念を持って、匡子さんに接していました。控えめでとても聡(そう)明(めい)な方でした。彼女は真央に強いパワーを与えてくれる人でした。真央も私が匡子さんのことを敬愛していたのを知っていると思います。ご冥福を祈ります。匡子さんはなくなる前に、私に手紙をくれたのです。内容は誰にも見せたことはありません。でも、私のために、この手紙を私のために書いてくれた匡子さんにとても感謝しています」

 「匡子さんからの手紙には、私に対する感謝の言葉が記されていましたが、病気のことは一言も触れていませんでした。後に、この手紙は病に伏せた人が書く文章だと理解しました。本当に芯の強い方でした。母親の死は真央にとって最大の悲劇でした。私たちは真央のエネルギーであり、彼女が気持ちをため込むバッテリーのようなものだった。2人とも、私にとってとても近い人だから。私は母親をとても愛していたし、真央も愛してます。だからこそ、契約上の関係ではなく私たちの友情が続いているのだと思います」

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by patinage | 2014-01-01 22:05 | 新聞・雑誌・他メディア

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